当たり前は当たり前じゃない
8月になったと思ったら、もうすぐ一週間。日付変わって、原爆の日、なんですね。普段は忘れててもこんなときばっかりは昔の話しを聞き、それを想像してみるのも大切なのかもと思います。
昔小学校の宿題で「おじいちゃんやおばあちゃんに戦争の話を聞いてくること」ってのがあってそのとおり聞きに行ったんだけど、何か誤魔化されほとんど話してはくれなかった。
語ろうとはしなかった。
そのときは子供心になんだろうって思ったけど、たぶん語りたくなかったんだよね。まして小さい子供の前では。それだけ悲惨だったんじゃないかと今なら想像できる。
ちょうどテレビで、日本の大学生が中国で2週間研修(働く)というドキュメンタリーをやっていたのですが、中国の若者は何のために働くかって疑問には答えることができなかった。
「何のためってのは、不自由なく生きられる恵まれた人が考えること」
なんじゃないかって研修に行った日本の学生が感想を述べていました。
そして、逆に、将来の夢はほとんどの誰でも簡単に答えられる。日本人はそこまではっきりと簡単に将来の夢を答えられるのかなあ。
当たり前のことを当たり前に教授していると見えなくなってしまうことが沢山あるのだけど、当たり前が当たり前でなくなる世界を知って、感じて、想像することが大切なのかもしれない。