あなたを大切にできない人のパーソナリティー考察
この記事昔から好きだったのですが、最近よく読み返しています。
そういう人はグッと距離を縮めてくるのも上手いんですが、そのぶん「使い棄て」のように突然関係を切られたり、わたしが嫌がることを平気でしてショックを与えられたり、なんかこう、突然「お前もういいや」って扱いを受ける瞬間が来て、「切られる」ことがあるんですよ。
実際これに近い人(以下Aさん)を見たからなのですけども、なんでそういうことをするのかなって。
Aさんの場合
- Aさんは相手が嫌がることを平気でする。気を損ねる程度は日常茶飯事で、常識的に考えて対人関係でやってはいけないことを度々する。
- Aさんは自分の気分がよくなることをひたすら要求する。
- Aさんは相手の望みは、ほとんど無視する。
- Aさんは自分に都合が悪いことは徹底的に誤魔化す。
- Aさんは冗談で許されないようなことを普段から言うのに、相手からチクリと言われるとすぐ怒る。
あまりに自分の希望ばかり通して相手の気持ちを無視するのでAさん。さすがに腹に据えかねた相手から「少しはこっちの希望も聞け」と怒られたことがあります。そうしたら、しぶしぶ納得した、フリをしてすぐに狸寝入りで誤魔化しました。もちろん翌朝も眠かったからしょうがないの一点張りだったそうです。Aさんは誤魔化したりワザとの時は悪いと思ってないので絶対に謝らない。
またAさんは他人をよく観察・分析していて、他人に対しての辛口を通り越して悪口のような発言をよくしています。もちろんみんなの前では決して口にしませんが、「思ってること全部言ったら大変なことになる(大きなトラブルになる)」ってAさん自身がいってるぐらいに、「えっそんなこと言うと?」という発言をよくしていました。
- 「Bはペットだもんペット。なんでも言うこと聞くペット」
- 「Cさんは嗜好品だよ嗜好品」
- 「Dさんは理屈で言っても通用しないから、体験させれば説得できる」
- 「Dさんからの(自分の)信頼度が超高い」
そして相手の過去10年分ぐらいのSNSのログをすべて読み返すなど(本人談)、相手に対する調査や分析を徹底して行う傾向がありました。Aさんはどうやら対人スキルが高い人のようです。
しかしその対人スキルは、大切にしたい相手や親しくない相手に対しては発揮されますが、より親しいけども大切にしたくない相手に対しては好き放題に振舞っていました。さらに言えば、Aさんはそういった対人スキルを使って自分がやりたい放題ふるまっても大丈夫な相手(素を見せてもいい相手)を見極めている節があります。
つまり、Aさんはほとんどの人に対して聖人(常識人)のように振る舞いますが、一部の人間に対し道具のように扱う傾向があります。そしてそのような「好き放題できそうな相手」を見つけると、グッと距離を縮めていきます。しかしその相手を大切にすることは決してありません。
ある時、Cさんに強い好意を持たれたAさん。一時期2人はとても仲良くしていました。CさんがAさんを振り回す感じで、Aさんは振り回されることにいつも迷惑しグチをこぼしながらも頻繁に2人で遊んでいました。まわりからは「振り回されて嫌なのになんで一緒に居るんだろう?」と不思議に思われながらも、その関係は続いていきました。 そしてAさんの誕生日、Cさんが泊まりで遊びに行きちょっとした問題が起こります。Aさんにお熱だったCさんは、ちょっとしたきっかけで一時的に熱が冷めてしまいAさんのあるお願いを断ってしまいました。
翌朝、Cさんは今までと同じように「日曜空いてる? 一緒に遊びに行こう」と言いました。しかし態度がいつもと違ったようです。Cさんはいつもどおり約束を取り付けたものと思っていましたが、後日Aさんと「日曜空いてる?と聞かれただけで、行くとは言ってない」という調子で喧嘩になりました。Aさんはそれまで許していたのに唐突に振り回されることを拒否し始めました。つまり、Cさんの視点に立てば突然「お前もういいや」って扱いを受け「切られ」ました。
Cさんは相当困惑しただろうと思いますし、何か悪いことをしてしまったのかと不思議でしょうがなかったと思います。まわりの人間も「今まで許してたのになんで急に怒ったんだろう?」と不思議でした。あくまで仮説ですが、AさんのCさんに対するメリットは自身に対する全幅の好意を寄せてくれるところにありました。そんなCさんの好意をうまく誘導して、自分が思い通りに動く道具になってほしかった。でもそれが拒否されてしまい、Cさんをすべて思い通りに動かせないと分かってしまった。だから要らなくなった。要らなくなったからポイって捨てた。
Aさんには相手をコントールし支配下に置こうとする傾向があります。それは別に直接的なマインドコントロール・・・ではないのですが、相手の気持ちや考えを言葉巧みに誘導することで、自分の思い通りに動いてもらおうとします。相手のことを調べたり敏感に感じ取ったりする能力は、そのために生かされています。
Cさんとの事件のあと、AさんはCさんから嫌われるように仕向けた後で「従順で反抗もしないで・・・なんてできない」と捨て台詞を言ったことがありますが、Aさんこそが相手に対し「反抗もしない」ことを常に要求しています。そんなこんなで、先のブログの言葉を使えば「うわ、こいつひっでえことするな」という光景を頻繁に見かけるようになりました。そうなると普通は引きますよね・・・。
そして引いて拒否しようものなら、相手はCさんと同じようにお前もういいやって切られることになります。しかし切られるとはいっても、無愛想になったり、相手から嫌われたり興味を失われるように仕向けるだけで、対外的に「切る」ことはしないのです。そういう状況で、相手から「どうするの?」と問いかけられても、Aさんは全く答えを出す気がありません。曖昧にしておくことでAさんにとって都合のよい状態、例えば「Aさんは自分の都合で他人を切り捨てるような人ではない」という評価を維持できます。それ以上にうまく行かなかった現実と向き合いたくないのかもしれませんけども。
見事なまでに首尾一貫して自己の都合で振る舞うAさん。それにほとほと呆れた相手から詰め寄られ「(関係を終わりにすると)まわりに事情を説明せざる得ないけどいいのね?」と言われたことがあります。そのとき布団に突っ伏しながら投げやりに「好きにすれば」と言い放つ姿はまるで駄々っ子のようだったそうです。
まとめ
- Aさんは自分の望みをひたすら要求し、相手の望みはほとんど無視する。
- Aさんは自分の都合が悪いことは徹底的に誤魔化す。
- Aさんはほとんどの人に対して聖人のように振る舞い、素性を隠す。
- しかし、実際は支配願望がとても強く、他人を「駒」だと思っている。
- Aさんは相手を支配できないと分かると「もう要らない」と切り捨てる。
- その際、あくまで相手から嫌われるように仕向け、その後に相手を否定する。
- Aさんは都合の悪い現実と向き合うことを避ける。現実に対し考えることを拒否する。
他人を大切にすることができないとどうなる?
前置きが長くなってしまいましたが、ここからが本題。Aさんのエピソードを参考に「あなたを大切にしない人のことを、あなたが大切にする必要はない」で述べられている、他人を大切にしない人を考察してみたいと思います。(以下引用はリンク先の記事から)
前提として、「ひどいことをされてもつい後ろめたさから相手に尽くしてしまう」みたいなわたしの悪しきパーソナリティがあるのですが、
私の場合は概ね他人に尽くしたいし、多少ひどいことされても信じてみたいって気持ちがあります。
友達との友情の破綻は「自分が相手の痰壺になった」と感じるときに来ることが多いんですよね。
どういうことかというと、お互いの辛かったことや汚い感情など、いろんなことを吐き出しあって、その開陳を親愛や友情の証と捉える人というのが一定数いるんです。
痰壺というのは日常のストレス(グチ)の捌け口を意味しているようです。おそらく「都合よく話を聞かされる存在」として見られてるって意味ではないでしょうか。私はAさんの痰壺だったわけではありませんが、都合のよい存在であることは常に要求されていました。
世の中には、支配願望が強く、あらゆる他人を自分に都合よく動かしたいと思っている人が居ます。あらゆる他人は自分が気持ちよくなるための道具に過ぎないとすら思っている人も中には居ます。自分が可愛くて可愛くてしょうがないので、そんな自分を肯定し、賛美することを要求し、その証として精神的服従を求めます。引用部の「その開陳を親愛や友情の証と捉える人」は言い換えれば、自分にとって都合のよい存在であることを友情の証として捉えるということです。
ただ全てにおいてそういう態度では社会生活を営むことはできません。ですのでこのような人(以下A'さん)は「素を見せてもいい相手」と「常識人として接する相手」を見極めます。おそらく「素を見せること」による失敗を繰り返してきた結果の生存本能と思われるので、その見極め能力がとても長けています。
一方で「相手に尽くしてしまう」パーソナリティの持ち主は(Oさん)、普段から「素に近い状態」で社会生活を営んでいます(引用元ブログの別の記事からもそれを感じ取ることができます)。素性を隠すことが生きぬく手段であるA'さんと反対に、Oさんは素性をそのまま出すことが生きていく手段なのです。
さてA'さんとOさんが出会うとはたしてどうなるでしょうか?
A'さんは社会性のあるとても立派な振る舞いをします。Oさんは好感を持つでしょう。一方で、A'さんはいずれOさんが相手に尽くすパーソナリティであることを見抜きます(もしくは自身に好意を寄せていることを見抜きます)。そのことに気づくとA'さんは距離を詰め、どの程度まで自分を許容してもらえるか、自分に尽くしてもらえるかを見極めようとします。
OさんはA'さんのことを社会性のある立派な人だと思っていますので、接近してきた本来の目的に気づくのが遅れます。もしくは人によっては気づかないこともあるでしょう。時には気づいても「そういう弱い部分も持っている人なんだ」と受け入れるかも知れません。そうやってOさんの苦悩は続きます。
しかし一方が他方に寄りかかるような人間関係が長く続くはずもありません。いずれOさんは気づきます。もしくは、A'さんが別の(より都合の良い)餌食を見つけてOさんが不要になります。そこで起こるのが「お前もういいや」なのです。
どうして他人を大切にすることができない?
それはすでに述べたとおり「支配願望が強くあらゆる他人を自分に都合よく動かしたい、他人は自分が気持ちよくなるための道具に過ぎない」と思っているからです。優れた人になると、常識人として振る舞いながらも、その中で相手を(なるべく)自分に都合よく動かすために、いろいろな手段を講じます。ただそれは相手に優しくすることだったり、相手を大切にすることだったりするので、何ら悪いことではありませんし、むしろ周りの人はみんな気持ちよく感じます。
ただ、中にはそれだけでは生きて行けず、チャンスがあれば素を見せたいと思ってる人が結構な割合で存在します。「自分の持つ黒い部分を含め、ちゃんと肯定して認めてほしい!」って願望がものすごく強いのです。ですから、そんな相手を見つけては接近しようとします。ただ相手の気持ちも相当に壊れていて共依存にでもならない限りうまく行きません。失敗すれば「お前もういいや」です。
「お前もういいや」は対外的に不利益のある(評判の下がる)諸刃の剣なのですが、すでに述べたとおり他の人に対しては社会性があり常識人なので、その特定の相手以外からの評価は高く対人スキルも高い。つまりさほど不利益を被らず「お前もういいや」を繰り返していても社会生活が成り立ってしまう。社会生活が成り立ってしまうので、自身の振る舞いについて振り返る機会を得ない。だから同じことを繰り返す。
そもそも、どうして「支配願望が強い」のかというと結局自己肯定ができていなのが一番の問題のような気がします。他人が自分自身に従うことで自己肯定感を補おうとする。他人を自分の心の穴を埋める道具として利用しようとする。その結果、支配願望が強くなる。そういう人って自分は間違ってないみたいに振る舞ってることが多いんですけど、それインチキ自己肯定というやつです。
インチキ自己肯定とは、社会や仲間内が許してくれることで、「自分自身に深い疑問を持たないでいられる状態」のことだと言ってもいいかもしれません。(中略)
自信満々で他人を支配しようとしてる人を見たら「この人は、本当は自己肯定できてないんだな~」と思って間違いない。そういう人は、支配できなくなると今度は相手を徹底的に否定し始める。
Aさんの場合も、何も最初から周囲を見下すような態度だったわけではありません。当初はすべてに対しておっかなびっくりで自信なさげでした。それが2012年頃になるとAさんは自分自身がモテる(他人より優れ好感を持たれる)ということを認識し始め、それを境に大きく態度が変わっていきました。今にして思えばそれこそが「自分自身に深い疑問を持たないでいられる状態」になる大きな要因だったのかも知れません。
私も長い間勘違いしていたのですが「素の自分を全部見せてそれを受け入れて欲しい」なんていうのはあり得ないんですよね。それをやっている限り幸せにはなれません。素の自分とちゃんと向き合って、それを隠すわけでもなく、甘やかすわけでもなく、かと言って逃げるわけでもなく、それを踏まえた上で(肯定した上で)自分の在り方を考える。大変でもそうするしかないのです。
こればっかりは人に言われてもダメ。自分で気づくしかない。
平凡な結論ですけど、やっぱりどうしたって、自分を大切にできない人は他人を大切になんてできないですよね。
おまけ
多くの人には「こういう人が居るのか」という感じだと思いますが、最近Twitterで話してたら同じような経験のある人と話が合ったので、世の中それなりにいるみたいです。
現実問題として、あなたを大切にしない友人や恋人がいる場合どうしたらいいかという話ですが、それはもう引用したブログにある「静かに拒絶する」のがよいと思います。深手を負う前に距離を取る。相手が優しく距離をつめてきても、無言で距離を取る。深手を負ってたら全力疾走しかないかもしれないですね。静かにってのは、人間関係に波風を立てることなく、仲違いすることもなく、単に「距離を取る」ってことなんじゃないかと思います。本当は最初から関わらないのがベストとは思いますが、すでに述べたとおり接近された後でないと分からないので難しいですね。
それにA'さんばかりが問題というわけでもなく、Oさんが自分に自信がなかったり(ちゃんと自己肯定できていなかたっり)居場所がなかったりするせいでA'さんの「酷い行いを許してしまう(甘やかしてしまう)」ということも同じぐらい問題なのです。許して甘やかし続けている限りは立派に共依存が成立しています。ちゃんと強い意志で拒絶してあげてください。
もし自分はA'さんタイプだなと思ったなら、素の自分とちゃんと向き合ってみてください・・・って言いたいのですか、これを読んだぐらいで気づける人はとっくに気づいてるはずなので難しいかも知れませんね。