みかんねこの不器用なのら~

不器用な人間が不器用なりに感じたことを語ってみるブログ

障害者施設での事件記事に思う「間違えない正しさ」

この被告についての記事から「想像」をしてみました。

WEB特集 “さとくん”が19人を殺害するまで | NHKニュース

仮に、被告は優しく真面目な性格で、そんな被告は「大学生活で汚れてしまった自分」を必要としてくれる「障害者への福祉」に携わり、喜びを覚えたとします。また、虐待が日常化されている*1障害者施設で働いていたとします。

  • 自分自身を正しい存在だと思っている。
    • 少なとも他人を平等に扱うべきと本来は思っている。
  • にも関わらず障害者の虐待に加担している。
    • もしくは、障害者に対してきちんと接することができない自分に苛立っている。

矛盾です。人間は、自身のアイデンティティーに近いところで矛盾を感じると、自己正当化をしてしまうことがあります。この場合の自己正当化として考えられるものは何でしょうか。

  • 障害者は人間ではない。
  • 障害者は生きていることが正しくない。

仮定どおりとすれば、そんなに無理のない理論だと思うのです。もちろん、とんでもない結論ですが、自己正当化という呪いにかかると導かれても不思議はありません。

加えて挫折の経験があり、その雪辱を晴らすためにも何か名を残したい(何者かになりたい)と思っていたのだとすれば……。

「間違えない」と思うのはとても恐ろしい

誰しも生きれいれば失敗もするし、間違えもたくさん起こします。大切なのは失敗や間違え、つまり間違ってしまったという事実を認めることです。反省して次に生かすことができたら言うことなしですが、間違えた事実を認められるか、認められないかは大きな分岐点になります。

この世の中で恐ろしいのは、自分は間違えないと思っている人間です。

よく小さな嘘をついたために、その後も嘘に嘘を重ねてやがて嘘だらけになってしまうなんて話はよくありますが、自分が正しいと思っている人間は、最初の間違えを認められないがために、最後には無茶苦茶な屁理屈をこじつけてとんでもない結論に到達することがあります。これが、会社の社長や偉い人だったりすると、まわりの人間はとてつもなく迷惑します。

他人に騙されやすいのもこのタイプです。自分は騙されるかもしれないと思っているタイプは、何かあっても「自分の認識が間違ってるかもしれない」と不安になり、騙されることに気づきやすい。自分は騙されないと思っているタイプは、なにかのアクシデントで騙されそうになったときに「自分が認識を間違えるはずがない」と思っているので、そのまま止まらずに騙されてしまいます。

扇動や洗脳されやすいのもこのタイプです。どんなに卑怯な手段を使っててでも、一度認識を崩してしまえば、二度と崩れない強固な信者に生まれ変わってくれるわけですから(他人を利用しようとする他者から見れば)これほど心強い相手はいません。


もし「自分は間違えない」と思っている人が居たら、どうしてそう思い込んでしまっているのか、そう思い込まないと不安で不安でしょうがなく感じてしまう原因は何か考えてみてください。そこには必ず理由があるはずです。理由を解決しなくて良いから、理由を認識することが大切です。

「どうせ間違えてしまうのだから正しく居ようなんて思わない」というのは極端ですが、「間違えてしまうこともあるけれど、それでも正しく居よう」と思えるぐらいがちょうど良いのかもしれませんね。

*1:同会社の他施設での虐待事件が判明していることからの想像