みかんねこの不器用なのら~

不器用な人間が不器用なりに感じたことを語ってみるブログ

「すべきである」を「こうしたい」より優先させても無駄

相手を大事にしたい。でも意志が弱くて貫けない・・・。

って言葉を聞きまして。

これ大事にしたいじゃなくて、大事にすべきだと思っているだけなんです。だから、いくら思っても実行に移すことができない。

たぶんこの発言をした人は本当は自分を大事にしたいと思ってるんです。でもそれは許されない。今までたくさん相手に世話になっているとか色々理由はあるでしょう。そういう過去〜現在の状況的に「私という人間は相手を大事にするべきである」と考えてるに過ぎない。それを無理矢理「相手を大事にしたい」とすり替えてるから矛盾が生まれる。こんなのは欺瞞です。


潔癖な性格の人にこういう苦悩が多いような気がします。

「私は聖人である」

とまでは言わないにしても、社会的にまともで正しくまっとうな人間だと思い込んでるとこうなる。心の底まで聖人みたいな人間なんてこの世の中に居やしませんよ。そう思い込むことは、自分自身の悪い部分を見て見ぬふりをしているだけで、なんの成長もしません。だって、現状で聖人なんだから、成長する必要はない。


生の感情ってのはね、偽っても無駄なんです。無駄なんだから、まず生の感情を認識するところから始めないと。いろいろな自己防衛本能や自己欺瞞を切り抜けてね。「なんだ、結局寂しかっただけだ」とか「自分が傷つくのが嫌だっただけか」とか、そんな下らない結論に辿り着いて、そこから初めてどう歩むか決めることができる。

本当にまっとうな人間ってのは、自分自身の弱さや醜さをよく知っています。知っているから、まっとうに振る舞う努力ができる。

「世界で一番私が可愛い」

だっていいじゃないですか。

そういうことがわかれば、その中で2番目に相手も大切にしたいって考えることもできる。そのためにどういうことなら出来て、どういうことなら出来ないのかが分かるようになる。


本当にまっとうな人間ってのは、自分自身の弱さや醜さをよく知っています。知っているから、まっとうに振る舞う努力ができるんですよ。

あなたが今、本当にしたいことは何ですか?