みかんねこの不器用なのら~

不器用な人間が不器用なりに感じたことを語ってみるブログ

Twitterとブロック化する社会と独裁スイッチ(TBSラジオLife感想)

TBSラジオLifeの 「ブロック化する社会をどう生きるか(8/30放送)」が面白かった。以下引用部は当該放送から。

「仲良くなれるかどうか分かる前にFacebookやLINEでつながったりして、コミュニケーションをしていく中から『ちゃうわ』って言って引き算していくっていうのがブロック化する社会」

ブロック化は別にSNSのことだけを指しているわけではないのですが、それでもラジオ内での議論の中心はSNSやネットのお話に。

ネットが今ほど普及する前の時代は、そもそも他人と繋がることのコストが高く、自らいろいろなコミュニティに出向いて相手を探し、その中かから繋がる相手を懸命に見つけていきました。ネットがあっても、気にいるページや掲示板を自ら見つけて、そこに交流を求めた時代だった。繋がる相手を探して選択する時代だった。

それに対して、今ではSNSやLINEのグループを介して簡単に大勢の人と繋がることができる。そのような状況になって、たくさんの相手の中から要らない人を切り捨てていく、ブロックしていく社会になっている。そんな社会の中でどうやって生き抜いて行こうかというのが番組テーマの趣旨です。

ここで言う「ブロック」とは「中傷してくる人をブロックする」といった話(もしくはSNSの機能としてのブロック)とは違う意味であることに注意してください。

「今20代の人がいきなりブロックから始まるのって葛藤を経験してないんですよね。(中略)今の若い人って分かり合えない=はいブロックってなってる」

相手と徹底的に討論して喧嘩して、こいつとは分かり合えないという結果としてのブロックじゃなくて、もっとお手軽になっているのが今の時代だという。番組の中ではフォローしている人を全員ブロック(ミュート)して、タイムラインに自分しか居なくなったという人の投稿が紹介されたりしていました。

過剰に、場合によってむしろ積極的に相手の気に入らないところを見つけてブロックしていく社会になっているのではないでしょうか。SNSの発達によって、本来なら見えないはずの相手のバックボーンも見えるようになってしまって、その部分でどうしても合わない所を見つけてしまうこともあります。

「ブロックというのが共生の作法になっている。ブロックすることによってお互い傷つかないよね、みたいな。それが衝突してしまうよりいいんじゃないかという」

避けて衝突しないことが絶対的正義になっているなと、私自身も強く感じています。例えば意見や考え方、例えば社会的立場。どんなに親しい人でもそういうところで食い違うことは往々にしてあります。しかし、ちょっとばっかり意見の咬み合わない部分があるだけで、ブロックっていう状況には違和感を感じてしまうのですよね。

そもそもどうしてSNSをしているのでしょうか? どうして他人とつながろうとしたのでしょうか。自分とは異なる色々な人と接するために、色々な考えを得るために、世界を広げるためにやっているのではないでしょうか。広げる世界に対して「これは違う」「それも違う」「違う違う」とやっていたら、広がるものも広がらなくなってしまいます。

「僕らに必要なのはブロックすることではなく、絶対に相容れないものに対して時にはスルーする力を身につけることではないかと思うのです」

ブロック化することで王国を作る人も居るし、社会での生存や他人とのつながりを全て忘れてひたすらに居心地の良い環境だけを求めてる人も居るし、究極自分の身の回りのことしか関心のないセカイ系として使う人も居ます。どれが正しい使い方というものでもありません。*1


ただもし、少なくとも誰かとつながろうと思って、世界に広がりを持とうとしているのなら、相容れない部分に対してはなるべく触れないようにして考え方の違いや多様性を許容する。関係を断つのではなくお互いが満足できる部分で接して行けばいいと思うのです。

最近思うのですが「是々非々」でいいと思うのですよ。共感できる部分で共感していけばいいじゃないですか。一緒になれる部分で一緒になればいいじゃないですか。相手を自分色に染め上げなくたっていいじゃないですか。身の回りの世界を自分色に染め上げなくたっていいじゃないですか。


番組内で一番興味深かった投稿を引用してこの記事を終わります。この番組はpodcastで配信されてるので、よかったら聞いてみてください。

「とあるゲームでインターネット対戦をしているときに相手をブロックすることがあります。(略)煽りや迷惑行為と感じるとやはり面白くないのでブロックしてしまいます。気軽にブロックできてしまうので一時期ちょっとしたことでブロックしていたら、限られた人としかマッチングしないようになってしまい狭い世界になってしまったなあと複雑な気持ちなりました。
 そこで思い出したのが、ドラえもんの『どくさいスイッチ』です。この道具はこの世から消したい人が消すことができるという恐ろしい道具です。まわりの嫌な人を次々と消していくのび太は、最終的にあれこれ考えるのが嫌になりすべての人を消してしまいます。初めのうちは一人きりの世界を満喫するものの、すぐに飽きてしまいます。孤独に襲われ泣き出したところでドラえもんが現れ、『これは独裁者を懲らしめるための道具なんだ』と言って元の世界に戻り話は終わります。
 ブロックという行為がそこまで重たいことだとは思いませんが、軽い気持ちでブロックしてしまうのも考えものなのかなと思いました。とはいえ心の健康のためにどうしても耐えられないものはブロックしてしまうのが一番な気がします」

*1:この番組ではそういうやり方を否定するのではなくて、そういう人がいるこの社会でどうやって生き抜いていこうかというテーマについて迫ろうとしていました。