みかんねこの不器用なのら~

不器用な人間が不器用なりに感じたことを語ってみるブログ

きっと何者にもなれない「持たざる者」の承認欲求

二分法じゃないけど、世の中には持つ者と持たざる者ってのがどうしてもある。持つ者がいる一方で、持たざる者もいる。それはしょうがない現実だもの。ここで言う持つ者ってのは例えば次みたいなの。

  • ものすごく頭が良い。
  • 尊敬される特技や技術を持っている(例えばオリンピック選手)
  • 容姿が可愛い、美しい
  • 有名人である

「努力しろよ」っていうのは実際そうなんだけど、じゃあ「努力したらすべての人がオリンピック選手になれるか」というと現実的にそれはあり得ない。みんながみんな持つ者になれるわけではない。

じゃあ、持たざる者はどうしたら幸せになれるんだろうか。持たざる者の心の寂しさはどうしたら埋まるんだろうか。


ここで1つの疑問が出てくる。持つ者と持たざる者の違いってのはどこにあるのか。持ってる者と持たざる者の間の壁を作ってるのは、集合としての「持たざる者たち」に過ぎないんじゃないかと。わかりやすい思考実験。例えばオリンピック選手だけを集めてしまえば、そこでは「オリンピック選手である」というステイタスは何の意味はなくなってしまう。オリンピック選手が羨望されるのは、オリンピック選手でない大勢の人がいるからに他ならない。

つまり「持たざる者たち」が持つ者を過剰に崇め、持たざる者を過剰に軽視するからこそ、そこに明確な違いが出てきてしまう。


よく考えてみれば、「持たざる者」だって世の中のあらゆる事柄について何1つ優れてない人はいないわけ。だったらさ、その何か1つでも2つでも、その持っているところ(いいところ)を見つけて・褒めて・承認すればさ、その人だって自信が持てるし嬉しくなる。幸せになれる。

結局のところ身近な誰かの良いところを見つけ言語化することができない持たざる者たちがさ、自分で自分の首を絞めてるだけなんじゃないかと思うことがあるのですよ。

だから、身近な人の良いところを見つけて褒めようよ、みんなでさ。