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みかんねこの不器用なのら~

不器用な人間が不器用なりに感じたことを語ってみるブログ

コミュニティーにおける勝者と敗者

コミュニティーができるとそのメンバーは2つに分けることができます。人気だったり、人望があったり、話題の中心にいるいわゆる勝者と、そうではない敗者です。

オフ会などを主催しても、そういう勝者が主催した場合は人が多く集まりますが、敗者が主催した場合はあまり人が集まりません。これは、その人の見た目が影響することもありますが、多くはコミュニケーション能力の差なので、敗者だからって嘆いてないで「がんばれよ!」って言うことができるかもしれません。

しかし人気者になることが苦手な人も世の中には居ます。そういう場合「諦める」というのも手かもしれませんが、オフ会の運営に協力して自らの立ち位置を作ったり、何度も何度も参加することで「いつでもそこに居る人」という立ち位置を作ったりすることもあります。

勝者は何もしなくても居場所があるが、敗者は何かしら頑張らないと居場所がありません

例えば私はコスプレイヤーです。コスプレにおける勝者とは「かわいい人や似合ってる人」で、敗者はそれ以外の人です。これは生まれ持ったものの影響が非常に大きく多くの場合努力ではどうにもなりません

敗者は、写真を撮る(もしくは撮るのがうまくなる)ことで居場所を作ったり*1、コスプレをするためのイベントへの参加をみんなに動機づけることで居場所を作ったり、ある程度できあがったコミュニティー(グループ)での裏方的役割(例えばイベント後の打ち上げ的食事会の手配など)で居場所を作ったりしています。

さてここで一つ疑問を投げかけたいと思います。

Q.勝者は好き勝手に振る舞い、敗者ばかりが頑張るのは不公平ではないか?

コスプレの話は置いておいて、身近な友人関係、そして会社でも学校でも構いません。例えば運動神経がとてもよい人、格好いい人、頭がとてもよい人、仕事がとても出来る人などなど。努力でどうにかなる域を超えて、明らかに能力が違うなという人があなたの身近にも居ると思います*2。そういう人に対し能力的に劣る敗者が、雑用をしたり、裏方的なことをしたり、何かしら目立つ行動をして居場所を作るというのは、はたして公平なことなのでしょうか?

A.公平かどうかはともかく、世の中それが当たり前である。

少なくとも今の日本においては。

だからといって、それってはたしてどうなのでしょう。会社ならともかく、友人関係やオフ会、そして趣味コミュニティー。勝者は好き勝手に振る舞い、一部の人や敗者にしわ寄せが行く。敗者はそれを当然のこととして受け入れる。もしくは受け入れきれなくなった時コミュニティーを去っていく。

勝者のやりたいことが他の人のやりたいことや全体の利益になるなら幸せなのでしょうが、一般的に自分がやりたいことと相手がやりたいことは異なります。その状況下で勝者だけが常にやりたいことをやっている状況には疑問が残ります。

勝者のカリスマ性だけで保っているコミュニティー等色々ありますので一概には言えない部分がありますが、もしコミュニティーの存在に恩恵を感じているのなら、勝者もコミュニティー全体の幸せってのを少しは考えるべきなんじゃないでしょうか。敗者にとっての居場所つくりはコミュニティー全体の幸せにつながることが多いのですが、ほとんど居場所が保証されている勝者が自分(たち)だけ楽しいを実践すれば敗者はその「楽しい」のなかに入ることはできない。

  • あの人は下手だから・・・
  • あの人は頭悪いから・・・
  • あの人は格好よくないから・・・

会社で効率的に仕事をこなすとか、コンテストに応募して優勝目指すとかならともかく、そういうわけでもないのに楽しいの輪から排除されていく敗者たち。それでも敗者たちは努力して居場所を作り続ける。

それはお互いにとって不幸なことだと私は思うのです。


勝者のみなさんもう少し全体の利益を考えてみてはとうでしょうか。

そして敗者のみなさん。そんな身勝手な勝者なんか窓から投げ捨ててやりましょうよ!

*1:コスプレの目的の多くは写真を残すことですので勝者にとっても撮影者は絶対に必要なのです。

*2:その人達が努力してないというわけではありません。もちろん小さいころやそこに至るまでの努力があるのですが、今現時点においてもはや超えられないということは多々あるかと思います。