みかんねこの不器用なのら~

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まどか☆マギカ考察(3) まどかの願いの本当の意味

まどか☆マギカの最終回を中心になるべく分かりやすく説明してみます。

まどかの心理

まどかは魔法少女に出会い「夢と希望を叶える」魔法少女に憧れますが、魔法少女になるために必要な「命を懸けるほどの願い」を見つけることができません。

9話までの出来事でまどかは悩みます。まず目の前でマミ先輩が亡くなります。まどかは無力でただ見ているしかできませんでした。魔法少女になった親友のさやかが、正しいことをしている(とまどかは思う)のに苦しんでいます。でも、まどかはそんなさやかを救ってあげることができません。本来ならこの時点で、さやかを救うために魔法少女になってもおかしくはなかったのですが、救うことが可能だと知らされた時にほむらの邪魔が入り契約の機会を逃しました。

その後、杏子に言われさやかを元に戻すために必死に呼びかけますが、無駄に終わりました。


まどかの性格は優しさに満ちています。他人のために自己を犠牲にし、いつだって正しくあろうとして頑張って(7話Bパート母親)います。それでありながら、何のとりえもない人間で何の役に立たつこともできない(8話Bパート)と考えるからこそ人の役に立ちたいと必死になっているのです。世界の中で自分自身がとてもちっぽけな存在だと自覚しながら、それを悔しいし寂しい(8話Bパート)と感じています。

一方でとても他人に流されやすく優柔不断な面があります。最初もマミ先輩に「魔法少女の見学」を誘われそのまま付いていきます。QBの言葉に幾度となく流されそうになりながら、ほむらの言葉にまた流されることで魔法少女への契約をしません。「さやかを戻そう」と杏子に誘われたときも、流されただけです。まどか自身がさやかを救うために必死に動いたわけではありません

魔法少女とそれを取り巻く色々な出来事を目撃し、正しいことをしているつもりがすべて空回りした結果、まどかの心に残ったのは無力感でした。

平行世界とは

少し解説しておきます。知ってる人は読み飛ばして。

例えばこれを読んでいるあなたがコメントをするか、コメントをしないか。両方の可能性が現時点ではあります。コメントをしたあとの世界とコメントをしなかった場合の世界、この2つは両立することはありませんが、どちらも存在し得る可能性です。

ほむらが持つ時間遡行という能力は、単純に考えると大きな矛盾があります。

過去に戻って歴史を書き換えたとき時間を遡行した本人が存在しない

存在しないとはいっても、本当に存在しなかったり、性格や状況の変化でそもそも時間を遡行する必要がなくなったり遡行する性格でなくなったり、そもそもできなくなったりと色々なことが起こりえます。

この矛盾への対する解決策は色々あり*1、そのひとつが「すべての可能性(世界)が互いに感知できない見えないだけで存在する」というものです。これを平行世界と言います。時間遡行によってほむらは「まどかが助かる方法を探していた」のですが、それは「まどかが助かる平行世界を探していた」ということになります。*2

11話の出来事

この回はまどかの決意に至るまでのお話です。

  • まどかに強大な魔力があり、まどかの願いなら「宇宙の法則をねじ曲げることが可能で万能の神にだってなれるかも知れない」(8話BパートQB)
  • どんな希望もそれが条理にそぐわないものである限り、歪みを生み出し最悪を生じる。これが裏切りだというなら、そもそも願い事をすることが間違え(8話BパートQB)
  • 地球の歴史とQBたちは深く関わっていて、もしQBたちが居なかったら「裸で洞穴に住んでた」(11話BパートQB)
  • ほむらから、ほむらが時間を巻き戻すことでものすごい回数と時間でほむらに守られていたこと、まどかが強大な魔力を持ったのはほむらのおかげだと知る*3
  • ワルプルギスの夜により、街中に危険がおよびほむら一人では守り切ることができないことを悟る。

まどかは他人を救いたい性格なので、

  • ワルプルギスの夜からほむらや街のみんなを救いたい。
  • 過去や現在、そしての並行世界のすべての魔法少女を救いたい(それはさやかやほむらも含む)

と考えます。そして希望を抱くのが間違えと言われたことが許せないのです。いつだって正しくありたいまどかには、希望を否定されることは存在を否定されることにつながるので絶対に許せないのです。

まどかの願いは何だったのか?

そもそも、QBにより魔法少女が生まれ魔女に育てられる(もしくは魔女に負けて死んでしまう)システムに問題があるので、QBの存在や魔法少女という存在自体を消し去ってしまいたいところです。ですが「もしQBたちが居なかったら裸で洞穴に住んでた」ので、魔法少女の願いによるキセキを無くすわけには行きません。それを無くしてしまうと、街のみんなや家族・友達の存在が消えてしまいます。

そして、まどか自身魔女になりたくはない(10話Bパート)し、他の魔法少女も希望や願いも否定したくない。魔女になるということは「呪い(負の心)に負ける」ことなのでそれを救いたいのです。

「すべての魔女を生まれる前に消し去りたい。すべての宇宙、過去と未来のすべての魔女を、この手で」

この願いで魔法少女というキセキのシステムを維持したまま、魔女という負の存在を消し去ることができます。すべての宇宙とはすべての平行世界という意味です。

何が起こったのか

マミの台詞にあるとおり「まどかはすべての宇宙と時間で魔女化する呪いを浄化し続ける」ことになります。こんなことは(例えソウルジェム化しても)普通の人間として行うことはできません。まどかの魂は願いそのものになり、気持ちがあらゆる世界や場所に現れ呪いを浄化し続けます。

書き換わったあとの世界では、浄化される瞬間にまどかと浄化される魔法少女は互いに言葉を交わせるようです。「さやかとまどかの対話」はさやかが呪いによって魔女化しようとしたところで、まどかが現れそれを浄化したあとの出来事です。いわゆる「死語の世界」へ向かう道筋で起こった出来事と似たものだと解釈できます。

このさやかのシーンから、魔法少女は浄化される瞬間にまどかに会うことができることが分かります。最終話でまどかがほむらに対して「また会える」と言っているのはこの意味で、ED後シーンはまた会ってところ(ほむらの力が尽きるところ)なのです。

またこのさやかのシーンの直後でほむらがリボンを握り締めまどかの名前を叫びますが、宇宙シーンでのまどかとの別れ際に「わたし迎えにいかなきゃ」と言ってさやかのシーンに移ったことや、ほむらがリボンを持っていることから、改変前の記憶を持ったほむらはこのシーンで改変後の世界に戻ってきたと考えられます。

ちなみにAパートでまどかのソウルジェムが抱えた全宇宙の膨大な呪いを、まどか自身が消し去っているのは「すべての魔法少女にはまどか自身も含まれるので、まどかの願いが叶ったのならばその呪いすらも消し去れる」という理屈です。

どこにでも居てどこにも居ない

魔法少女が浄化しきれない呪いを抱えたとき「希望を求めた因果がこの世に呪いをもたらす前に消え去る」(12話Bパートのマミ)のはまどかの存在があるからです。これが世界のどこであっても起こるので、まどかは何処にでも居るのです。このルールが宇宙にあること=まどかが存在する意味になります。

でも、改変された世界に生きる人々にはまどかの存在を感知することができません。まどかの存在を感知できたとしても(魔法少女が)死ぬときだから生きている人は知ることができない。これがまどかによるものだとしても「これを確かめる手段なんて無い」(12話BパートQB)のです。

まどかの本当の気持ち

願いの台詞に重要なポイントがあります。

「すべての魔女を生まれる前に消し去りたい。すべての宇宙、過去と未来のすべての魔女を、この手で

「この手で」なのです。「この手で」なければ、まどかの存在が消えることはなかったかも知れません。QBによる願いのキセキはさやかの例ではっきりしているように、当人が何ら関知しなくても願うだけで叶うのです。この手でなければこの願いは叶わなかったのか? 否定はできませんが、そうとも思えません。

まどかは心の底から「人の役に立ち、世界に自分の存在を認めてほしかった」。そう考えると「この手で」と付けた理由が分かります。世界のルールとなり世界そのものとなったまどかは世界に認められたし、魔法少女が消滅する瞬間に立ち会えることで明確に人の役に立っています。

「魔法ってのは徹頭徹尾自分だけの望みを叶えるためのモンなんだよ」(6話杏子)

最後の最後でのまどかの選択は、他人のためではなく自分のためでした。それに加えて夢と希望の存在として魔法少女への憧れもあったのでしょう、きっと。

*1:たとえばドラえもんのタイムマシンでは、平行世界ではなく「未来の世界が書き換わる」という設定を基本に採用しています。映画back to the futureも同様。

*2:ちなみに9話Bパートでほむらに過去に戻って「歴史を書き換えて」と頼みますが、魔女になりたくないとソウルジェムの破壊を頼むことからも平行世界の設定を採用していることが分かります。平行世界ではなく未来が書き換わるなら、ほむらが過去に戻った時点でその世界は存在しなくなるのでソウルジェムを破壊する必要はありません。

*3:これを直接知る描写はありませんが、ほむらに対して「無駄にはしない」と言ってることから知っていることが分かります。