みかんねこの不器用なのら~

不器用な人間が不器用なりに感じたことを語ってみるブログ

バイアスによって扇動される人々

例えば

旦那が奥さんを殺してしまいましたと。これを裁判員裁判でやったら軽い刑になりました。最高裁まで行ったけど、裁判員の判決が尊重され覆りませんでした。

という事実があったとして。

実はバラバラ殺人でとても残虐でした。なんでこんなに軽い刑なんだ!

と奥さんの両親が抗議活動をするかも知れない。
そういう抗議活動をTVやネットでたまたま知ったとき、あなたはどう思いますかというお話です。

こういうのを例えば新聞で読んだとして、ひどい話だとすぐ同調してしまうのでしょうか。もしくは抗議活動に参加してしまうのでしょうか。

もう少し色々な情報を探してみるという人はどれくらい居るのでしょうか。違和感を持って調べてみようと感じる人はどれだけいるのでしょうか。

この例は裁判ですので、裁判記録が今時ネットでいくらでも手に入ります。重大事件の判決は判例としてネットにおいてあります。むしろ裁判所が積極的に公開しているので判決日時と裁判所名をいれればすぐに手に入ります。それを読めば結論に至った過程が記録されています。

話を戻して、その記録を読んだら実は旦那さんは大人しい性格で、奥さんにものすごく虐待を受けていたと分かり、しかも給料をすべて奥さんにとられ、おこずかいすら1円も貰ってなかったとわかりました。いわゆる恐妻過程だったのです。

さてどう思いますか。最初の印象と違ってきませんか。


詳細かつ膨大な情報の中から自分に都合のいい事実だけを選択し、時に拡大解釈して伝える人たちが世の中には居ます。こういうある方向に偏ったものを「バイアスのかかった」情報と言います。

被害者家族は悲しみの感情からバイアスを持ってしまいます。処罰感情が強くなるのは仕方のないことです。同じように人間誰しも多かれ少なかれバイアスを持っています。それも仕方のないことです。しかし世の中には、この手のバイアスを意図的にかける人たちがたくさん居ます。

バイアスをかけた情報をうまく流布するとなにが起こるでしょうか。極簡単に言えば人々を扇動することができます。大衆を操作することができます。なぜそんなことをするのか。自分の立場をよくするために? 自分の利益を失わないために? もしくは愉快犯的に? それが社会のためだと思って? 理由は色々でしょうが今回はそこに深入りしません。

少なくとも扇動された人々はバイアスをかけた情報を出した人に利用されているということが大切です。

情報を触れたときには、少しはバイアスがかかってないかと疑い、一次情報に当たるなり、他の情報(反対意見)を探すなりという努力をして、少しぐらい真実を探ってから自分の中の結論を持ってはどうかと思うのです。1つの情報に触れただけで、それをすべて真実と思い早急に結論付けるのはとても危ない。

調べるのが大変でも、触れた情報に対して1度は批判的態度をとってみたり、触れた情報に対するタグ付け「うさんくさい」とか「自分で調べた」とかをしてみることが大切なんじゃないかと思うんです。

「TVが言っていたからすべて正しい」「ネットにこう書かれていたからそうなんだ」と無自覚に思考停止している人をみる度に複雑な気持ちを持ちます。

今触れた情報はもしかしたら正しくないかもしれない、と思うこと、そういう嗅覚を養うことがとても大切です。*1

余談

扇動やバイアスも長いこと同じ種類の情報にばかり触れていると、バイアス自体を受け入れていてしまいます。

表面上の事実 → 思考停止 → 結論
不都合な事実 → 思考停止 → 無視

となって、もはや理論的な議論などできない状態となります。適切な例ではありませんが、新興宗教に染まっちゃった人なんかを想像するとイメージしやすいと思います。

*1:脱線しましすが、学校のレポートで「ネットにこう書かれていたから」という理由で誤った知識や情報をそのままレポートとして提出することが横行しているそうです。そのせいで本以外の参考資料を禁止している先生も居るとか。正しさを探索する嗅覚というのは今後ますます必要になるのでしょう。