生活保護、母子加算、奨学金。セーフティネットに付きまとうもの
昔、奨学金を貰わなくてもそこまで生活に困ってないのに奨学金をもらっている人が居ました。某奨学金は教職員などになると返済しなくていいという規定があって、それを見越したものだそうで、あるときを境にこの規定が撤廃されました。その人はその年から奨学金をもらわなくなりました。
都心ではない地方大学とかだと、奨学金なんてもらえるのはほんの一握りで、もらえないけど困っている人はたくさん居る世界で、無利子奨学金をもらえるなんてさらに一握りです。そんな中でのこんな出来事でした。
高校時代。母子家庭で生活保護を受けている人が居ました。ある日、CDプレイヤーやコンポなどを友人の家にあずけに行くという話をききました。なんでまた? と尋ねると、没収されないようにするためだと答えました。生活保護を受けていると年に何回か市役所の人が生活の調査に来て、必要以上に豪華な生活をしていると、生活保護が打ち切らたり没収されたりするんだそうです。それを避けるためだだと教えてくれました。*1
この人たちを世渡り上手とみるか、悪とみるかは置いておきますが、いわゆるセーフティネットには必ずこの手の問題が付きまといます。それによって助かる人がいる一方で、本来必要がない人までその恩恵を受けることがあります。
この本来必要がない人が受ける恩恵をどう考えますか?*2
無駄なのでしょうか、必要悪なのでしょうか。大前提として、多くのケースで本当に必要な人だけに必要なサービスを届けることはほぼ不可能です。
よく出る意見は「こういう不可避な問題を避けるため、サービスそのものをやめてしまう」というものです。例えば母子加算は「本来必要なく受け取っている人が一部にいる」という理由で*3なくなったと言われています。そして多くの必要な人が困ってしまう事態が起こりました。それでいいのでしょうか。
では必ず公正にその制度が利用されるよう徹底的に調査をすればいいのでしょうか。当たり前のことですが、それにはものすごく多くの労力がかかります。お金がかかります。あまり現実的ではなさそうです。
私の考えは、ある程度は悪用されることを折り込んだ上でサービスを実施すればいいのです。よっぽど悪質なものは摘発したり、悪用の割合を一定よりあがらないようにするよう努力はしても、完全に無くすことは目指さずにサービスを実施する。
悪用は避けられないという前提をおけば、結局セーフティーネットとして次のどちらがふさわしいかという問題なのです。
- 困っている人の一部しか助けられないが、困ってない人は悪用できない
- 困っている人のほとんどを助けられるが、困ってない人の一部にも恩恵を与えてしまう
年金訂正問題も、これと同じ枠で考えることができます。完璧な制度などないのだから、結局はどこかで割り切る必要性が出てきます。どちらを選ぶと考えるかは人それぞれですが、私は前者であるべきだと思っています。