みかんねこの不器用なのら~

不器用な人間が不器用なりに感じたことを語ってみるブログ

障害者は社会に必要か

一時期、必死になって心理学を勉強していたことがあります。

人間心理について知見を深めると、あるとき面白いことに気付きます。日常、普通どおりに生活している友人たちが、みんなみんな例外なく精神的な欠陥(弱点)をもっているという事実です。例えば普段はとっても理知的な人がたばこについては健康的に害があることを認めようとしなかったり、誰に対しても友好的な人が教員や親に対しては反抗的だったり、自尊心が強く他人より自分が優秀でないと気が済まなかったり。

または、精神的に嫌なことがあると落ち込んでしまうのは誰でもあることですが、それが1週間2週間と長引いてやがて学校や会社も休むようになると鬱と呼ばれます。でもどこからが鬱病で、どこからが気の落ち込みなのかは難しい。

つまり、広義に捉えれば人間みんな精神病だし、狭義に捉えれば「この世の中には精神病なんて居るの?」という話になる。結局、普段の生活に重大な支障が起こったときのみ、何かしら助けなり対処なりが必要なのであって、精神病(精神障害)であるかどうかは特に重要ではない。普段の生活に障害が起こるから障害(病気)と呼べます。

障害者と健常者

こんな感じで、正常と障害(病気)の境界なんて曖昧なものです。

そーいうの見てると「障害」って言葉だけが一人歩きしてるよなーって思うよねぇ。
単に「困ってます」って意味だと思えば気が楽だし、支援も受けやすいわけで。

合えば「すごい人」合わなければ「障害」 - AD/HD(?)+運動音痴な私がもがいてみる日記

わたしも「困ってます」で済むと思うのですが、実際には障害者というものが呼称されています。障害者を障害者として括るのにはいくつか理由があります。

  • 医学的・学術的に研究発展させるため。
  • 障害者を障害者として保護するため。

でも社会一般ではどうなのかというと、単に区別して差別したいだけです。昔、あちこちの国で奴隷制度がありましたが、人間というのは心理的により劣ったものを社会に置くことで平穏で居られる性質があります。学校のクラスにいじめられっ子が必ず表れる原理と同じです。その子が居なくなっても、やがて新しいいじめられっ子が生み出されます。

より劣ったものと自身を区別することで、人は最下層ではないと安心し自尊心を満たすことができます。レッテルを貼り、自らと切り離して、安心するという行為は人間社会の多くの場面で見ることが出来ます。救済の意味をもたない「あの人は病気だから…」といった世間話に生まれる障害者というレッテル張りは、この種の行為と言えるのではないでしょうか。

その行為で自尊心をみたしている人間の方がよっぽど哀れだと思いますが、誰しも多かれ少なかれ無意識にやってはいることですので、そんな言葉を聞いたときは自身を省みる機会にしたいものです。